学校が高校まで大嫌いでした。
きちんと並んで授業を受けないといけないのが発狂しそうなくらい苦痛でした。
勝手に早退して電車に乗ってひたすら西に行って帰宅時間頃にまた引き返してくる、ということを繰り返していました。
ぼーっと車窓から見える海を見て。
それでも休まず学校に行くには行って、苦痛ながらも授業を受け。
友人というかいろいろ話をしたひともいたけど、今は誰とも会っていない。
名前もうろおぼえ。
いまは、社会に出てからの友人ばかりです。
敷かれたレールなんか、降りてもいい
高等学校までの授業は、すべてではないけれど、あらかた一般常識的に必要なのかもしれないと思います。
でもそのあと、その間でも、やりたい、なりたいことができたとき、それにはこういった勉強が必要だと考え、行動すればいいと思います。
でも、学生時代、それに気づくことができるひとは少ない。
身内の話ですが、いったん受かった大学を辞めてしまい、別の道を選びました。
それもいい。
彼には今、やりたいことがない、と言う。
あえてしたいと言ったらこういうことかな、と言うそうで、でもそれは本気の「好き」じゃない。
だけど興味があるなら知識を得てもいいと思う。
そうしている間に本当の「好き」が現れるでしょう。
「好き」なこと、本当に手に入れたいものが見つかったら、全身全力で向かっていけると思います。
情熱的に、がむしゃらに、あるいは淡々と粛々と。
ことを始めるのに年齢は関係ない、と言われたり、やはり若いうちのほうがいい、と言われたり。
若いって何?
もし気力、体力、やる気、そう、情熱があるなら、関係ない。
何度でも「好き」に向かっていけると思います。
いつでも、今が始めるとき、です。