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まつした(@flowerpower_ht)です。
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40、50歳って、子どもの頃、すごく立派な大人、と思っていたけど、意外とそうてもない。
ずっと子どもの要素が残っている。
小さいころの思い出
先日従妹たちと会って「園芸療法の庭を作る」話をしたのですが、いつも子どものころに戻る。
結局その話に、その頃の顔に戻るのがわかる。
「庭を作る」話はなんとなく終わり、それよりも仕事を辞めたことを従妹たちに心配され、親のように心配され。
親というか親戚だから、小さいころから付き合っているからそういう気持ちになるのだろうけれど。
そして、以前従妹が住んでいた家の話、風呂が離れていて裸で走って風呂の小屋?まで行って釜に触れないようそーっと五右衛門風呂に入っていたことや、従妹の家に行くととにかく楽しくて、座敷と土間の間をぴょんぴょん飛んでいた話とかそんな40年前の話をするのだけど、それがそんなに昔ではなくて数年前かのようなかんじで思い出せる。
お互いにいつでも子どものころに瞬時に戻れる、というのは親戚どうしならではなのだろうけれど、50歳を過ぎてもそういうところは変わらない。
結局、ほんとにしょうもない、昔のばあちゃんちの便所は外にあって戸がなくて穴があいていただけで、とか、巨大な肥溜めがあってその中がカオス、とか、そんな子どもが執着しそうなシモ話に終始する。
同席していた従妹の夫には申し訳なかったけどそういう話についていけず、ただ聞いているだけ。
彼が、風呂や便所が外にあることに驚いたり穴だけの便所でなんか用を足せないと拒否する様子を従妹と一緒におもしろがったり。
いつまでも子ども
いわゆるお互いいい歳のオトナなのに、そんな子ども時代の思い出、ワイルドさや懐かしいことを話し出すと子どもの顔になってしまう。
いくつになっても、もうオトナだ、とか、もういい歳なんだから、というのは無いような気がする。
いくつになっても子どもの自分はいまの自分の中にいるし、そうかといってオトナとして対応できる自分もいる。
それは70、80、90、100歳になってもいくつになっても変わらないだろうと思う。
いま、20代30代で活躍しているひとたちを見ると、なんてオトナなんだろう、と思う。
こんなすごいことを考えて実行できるのか、自分はそういう20代を過ごしてこなかった、と。
会社員となって結婚して、会社の仕事にやりがいを感じていたかと言われるとそうでもなくて、ただ目の前にあることをやってきただけ、という20代。
20代のころはインターネットもほとんど普及せず、ニフティサーブの白黒の画面でやりとりする、オフ会と呼ばれる集まりに行くようになって少し世界は広がった。
いまは生まれたそのときにもうインターネットが存在していて世界とつながっている。
生まれてすぐ、世界。
そんな刺激だらけの環境で何かを感じ、考えずにはいられないだろう。
いわゆるフツーの生活、という言葉はもう存在しない。
こういうおもしろい考え方ができるんだ、こんな発想はなかった、と、いろんなアイデアが広がっている。
20,30代のひとたちが私達のころよりオトナ、ということではなく、いつまでも子どもで、遊んでいられるからかもしれない。
オトナになりきれない、オトナと呼ばれる自分。
子どもの要素を常に持っている自分。
どちらもあるからおもしろいんだな。