こんにちは、まつした(@flowerpower_ht)です。
こんな夢の実現にむけて準備しております。
ご興味ある方、ご協力していただける方、ぜひご連絡ください(^-^)/
初めてのショートステイ
3月に、家人の父、じいちゃんのショートステイを決めました。
4月、この週末、初めてのショートステイです。
1泊2日、いつも通っているデイサービスとは違う施設。
ケアマネさんのすすめもあって、ここに決めました。
無事行ってくれるかな、夜、泊まってくれるかな、2日間過ごしてくれるかな、という不安がありました。
自分の子どものように、いや、子どもは居ないけれど、いやいや、じいちゃんは子どもじゃないし人生の先輩だし、
でもそんな気持ちになって見送りました。
いつものデイサービスと違う職員さんと車に、じいちゃんは一瞬、いつもと違う?という表情を見せたけれど、車に乗り込んで出かけていきました。
わたしも10年以上老健、デイケアに介護職員、リハビリ職員として勤めていて、送迎の手伝いもしていました。
利用初日は、認知症の方のところにいざ迎えに行くと「なぜ行かなきゃいけないんだ。行かないぞ」と言って拒まれたり、ごくたまに大声や手を出されたりすることもありました。
じいちゃんはそこまではっきりした意思表示と態度で示すことがもう難しいこともあるのか、それともとりあえず行ってみるかという、性格から来るものなのか、すんなり行ってくれました。
じいちゃん出発後
行ってしまったあとはしーんとして。
寂しいけど、
楽だな。
ひどいと思われるでしょうけれど、本音は「なんて楽なんだ!」ということ。
わたしや家人が家にいると、ちょこちょこじいちゃんの居場所、動向をうかがったり、リハパンの汚れの心配や着替えの手伝い、食事をとることを促したり、夜、ベッドでなかなか寝ないので促したりなどということをいっさいしなくていいのです。
わたしもそうですが、家人も久しぶりに安心して寝られた、というのが実際です。
介護を休む
じいちゃんがいないと寂しい気持ちはあります。
だけど介護というか手伝いをしなければいけなくなったことに対して、わたしたちは思ったより負担に感じているのだと改めて実感しました。
介護に終点、ゴールはない、という言葉の本当の意味は、当事者になってみないとわからない。
リハビリ職員としてそういった話を何度も利用者のご家族にそんな話をしてきましたが、薄っぺらいものだったなと感じます。
当事者になったことがなかったので深い意味を読み取ることはむずかしかった。
介護をしていると、この先どうなるんだろう、もっと認知症が進むのか、進んで手が出たり大声を出したりすることがあるかも、トイレや食べることもわからなくなるのか、とか今は仕事をしていないけれど仕事に支障が出てくる状態になるのかなどいろんな不安があります。
わたしたちの場合、じいちゃんの認知症は確実に進んでいるものの、身体は膝の痛みと歩き方がだんだんあぶなっかしくなってきたくらいでわたしたちに負担のかかる行動をすることはないし、単語レベルで短くても会話は成立するので、一日中介護していなければいけないということはないです。
しかし、なにかしら、気になる。気を配ってしまうのはしかたないことです。
そこまでナーバスにならなくてもいいのですが、やはり気になります。
その場だけの会話であっても意思疎通できる間は自宅でじいちゃんをみていられる、みなきゃいけないという気持ちはあるのですが、それでもやはり毎日つきあううちに介護者が疲れていくはずなのです。
距離を置くことを習慣化する
お互いに気持ちよく過ごしていくためにも「少し離れる」。
会わない時間を作ることで介護者は休めるし、気持ちをリセットできる、介護されるひとは施設で泊まることで良い刺激も受けることができるかもしれません。
施設に泊まること自体、自宅ではない環境なので刺激だらけだと思うので、それがストレスに感じるのか案外楽しい気持ちを経験できるのかはひとによります。
いまは介護保険の恩恵を受けることができる。
使えるなら使わない手はないです。
じいちゃんも、ずっと自宅で過ごすより、場の切り替えによって良い影響が出れば、と、これからもショートステイを使っていきます。