久しぶりの投稿になってしまいました。
あれからいろいろありました。
仕事はフルタイム、重度認知症のじいちゃん(夫の父)を介護しながら
過ごしておりました。
認知症;じいちゃんの死
先日、5年間くらい介護していた夫の父、通称じいちゃんが亡くなりました。
このブログでもしばしば登場して介護の様子などつづっていました。
突然の死、あっけなくじいちゃんは旅立ってしまいました。
認知症:じいちゃんの変化
この夏、気になっていたことがありました。
あんなにたくさん食べるじいちゃん、だんだんとご飯を残すようになっていたのです。
それと、体重がひと月に1キロくらい減っていました。
そして、何と言っても日頃の様子、認知症の進み方です。
- ほとんど声を上げない、怒らない人でしたが、少しずつ声を荒げる場面が見られた
- 杖を持ってうろつく(膝の痛みの訴えができないこともあるかも)
- 杖でドアをバンバン叩く
じいちゃんは認知症と診断されても周辺症状と言われることはほとんど見られなかったのですが、こんなことが出てきてなんとなくこの夏は違うな。と思っていました。
認知症:高齢者は暑さと寒さに弱い
高齢者を家族に持つ方が気になるのは、暑い夏と寒い冬です。
それも季節の変わり目に変化が見られます。
じいちゃんも同じで、正直、この夏が超えられるだろうか。もしかすると。。
と感じたのはわたしだけでありませんでした。
即座に気づいたのは、かかりつけ医のK先生でした。
ある日の診療日、じいちゃんの様子を見るなり「何かあったら往診に行くから。私の携帯の電話番号渡しておくから。」と言われました。
認知症;じいちゃんの最期の日々
ショートステイに入る前、いつもある週末のお通じ(大きい方)がなかったのです。
おかしいな?と思ってはいて、数日便秘だということをショートステイ先に伝えてはいました。
たくさん食べる人なので、定期的にお通じがあるのに、無いのはちょっと変だな、とは感じていました。
ショートステイ先から「どうも様子がおかしい。血圧が上がってこないので救急搬送します」と言われ、家人=夫が先に病院に向かいました。
腸閉塞と肺炎を起こしていたのです。
まさか腸閉塞にまでなってしまうとは気づきもしませんでしたが、肺炎はいつか起こすのではと予感していました。
腸閉塞の処置をしても血圧は上がってこず、それでも1ヶ月くらい入院すれば回復するのではないかとの話でした。
ところが次の日の早朝、連絡があり、血圧が全く上がってこないので、今日が山かもしれない、との連絡。
急いで車を走らせ、じいちゃんのそばにいき、たくさんのチューブにつながれたじいちゃんを見守り。。
到着して2時間ほどで触れていた腕の脈が、トク。。トク。。。と消え。
モニターの波形が真っ平らになり。
静かに息を引き取りました
認知症:口に出せない、表現できなくなること
重度認知症になると、全ての人に当てはまるとは言えませんが、自分の思いを的確に伝えることが難しくなります。
じいちゃんの場合もそうですが、きっと便秘を起こしていてお腹の痛みや違和感はあったけれど、それを自分の言葉で伝えることは難しい。
それをなんとなく予感はできたけれど、お腹の調整剤を飲んでいたからそのうち良くなると思っていた私たち。
家族も認知症患者の意思を汲み取ることが難しくなってきます。
それを家族はもどかしい、辛いと思う、だけど認知症患者である当事者が一番辛いでしょう。
そのコミュニケーションのとりづらさも認知症の一つの症状、病気による弊害と考えてもいいかもしれません。
認知症:どうすればよかったの?
今も考えます。
どうしてあげればよかったのだろうか、と、繰り返し、繰り返し。
一生考えると思います。
人間、誰しもこの世に生まれたその瞬間、死にゆく。
じいちゃんの場合、食べられなくなった、やせてきたこと=寿命だったのだと思っています。
人も生命を授かったものたちはいつか枯れていくもの。
誰かがそれを止め置くことはエゴではないかと感じます。
これはあくまでも私の考えであって、いろんな考えがあると思います。
釣りが大好きで、一人でも沖に出て大きい魚を釣ることが好きだったというじいちゃん。
まだ私たちはこのぽっかり空いたような状態から抜け出せないけれど、精一杯生きたじいちゃんのことは死ぬまで忘れませんよ。