作業療法士で園芸療法を実践しております、
まつした(@flowerpower_ht)です。
アメリカに暮らしていた時
30代後半、アメリカに5年住むことになり、行ってきました。
留学ではなく、行かねばならない事情があったのです。
現地で働こうと思えば働けたのですが、そんな語学力も気力もまだなかったので時間はたっぷりありました。
なので、無料で外国から来た人に英語を教えてくれるプログラムに出席していました。
今はどうかわからないのですが、オランダに3か月いたとき、オランダ人と結婚した外国の人はオランダ語を習うことが義務とされていると聞きました。
つまり、オランダの言葉を覚えてくれないと国としてもコミュニケーションがとれなくて困る、ということなんでしょう。
日本にそんなシステムがあるでしょうか、これからできるでしょうか。
これからは考えないといけなくなりますが、どうなるのでしょう。
大変だったビザの変更
それはさておき、その無料プログラムを終えてある勉強を始めたので5年間の滞在のうち半分は学生のビザに変わりました。
アメリカはビザ取得に厳しいことはよく知られています。
外国から来た人に就労ビザなんて、日系企業の人だったりコネがあったり強力な才能や資格などないかぎり可能性はかなり低いです。
学生ビザに切り替えるときもかなりやり取りを繰り返し、絶望したり喜んだり、一大イベントでした。
学生ビザ取得、というだけでも名もなきひとりの日本人なので、誰かに仲介を頼めるわけでもなく、手伝ってくれるひともなく、これらをすべて英語でやり遂げなければなりませんでした。
当時、アメリカで勉強を続けたい、という熱意がなければ挫折したでしょう。
外国語の習得はたやすい?
わたしは日本人たちの集う”村”が嫌で、所属せず、ほとんど日本人と付き合っていませんでした。
そのおかげで英語力をつけることができたと思います。
英語は若いころから興味はあったものの、英会話なんて使う機会がないのでできませんでした。
英語を覚えたのは、歌が最初だったかもしれません。
中学生のころから耳で聞いて書き写し、一緒に真似て歌って意味もわからずなんとなく発音していました。
アメリカに行ってそれが役立った気がします。
アメリカ滞在中は、アメリカ人がどういう言い回しをしているかを聞いてそれを真似する、ということを繰り返していると、日本語で考えるよりすぐに英語が口から出るようになりました。
簡単な英会話はわりとすぐできるようになり、レストランで店員さんとちょっと楽しい会話をすることもできるようになったり。
そうするとだんだんおもしろくなって、違うシチュエーションでの英語を知りたくなったり、プレゼンをするときどうするかなどアメリカ人の友人に教えてもらったりしました。
そんな風にして少しずつ英語を話すことが身についていったと思います。
英語を読むことについては、クラスで「次の授業までに300ページ読んで要約してこい」なんて課題がしょっちゅう出ていたので、とにかくたくさん読む、ななめ読みすることに慣れれば楽になるのではないかと思います。
↑これは必携でした
英会話習得よりまず自国のことを知る
今はもう英語を話すことは激減しましたが、アメリカのドラマを観る、聞くこと、真似して言ってみるとかはときどきやっています。
英語にお金を出さなくても、英語を話す機会を作ろうという熱意があれば。
でも、なんのために英語を話せるようになりたいのか、具体的な目的がなければ難しいと思います。
日本を離れると、いや、離れなくても、日本のこと、日本の常識を英語で表現できることが必要になります。
だからまず自国の言葉や文化をよくできるだけ学ぶ、知ること。
自分はどこの国の人間なのか、どっちつかずの人間になりませんように。